2005年07月23日
小林尽とは何者か?

小林尽と言えば、『School Rumble』(スクラン)。
というか他にはない。
スクランで衝撃的なデビューを果たした現代のダヴィンチ、あるいは写楽。
ストーリー、描写、ギャグ、プロット、展開、スピード、どれを取っても最先端にいる。
なぜ彼は、こんな作品を描けるのか。
果たして小林尽とはいったい何者なのか?
前職はイラストレーターだったという噂以外の経歴は不詳だ。
なのにこの原爆級の実力。
正直、鴨川つばめ以来の巨人登場です。
小林尽を監視せよ!
投稿者 coboratory : 11:21
2005年07月13日
イメジャリー
ある要素によって、想像力が刺激され、視覚的映像などが喚起される場合、
そのようなイメージ(心像)を喚起する作用を「イメジャリー」と呼ぶ。
イメージの集合もまたイメジャリーという。
イメジャリー(imagery)は、いくつかに分類できるが、
あることを示すために、別のものを示し、それらの間にある共通性を暗示する場合は、「メタファー」(meraphor)という。
とくに類似性がないものを示して、連想されるものを暗示する場合は、「象徴」(symbol)である。
また具体的なものをとおして、ある抽象的な概念を暗示し、教訓的な含みを持たせる場合は、「アレゴリー」(allegory)という。
※参考
『批評理論入門』 廣野由美子著(中公新書1790)
投稿者 coboratory : 10:42
2005年07月12日
提示と叙述
語り手が出来事や登場人物について語るという方法には、大きく分けて二つある。
これを『小説の修辞学』(ウェイン・ブース)は、「提示」と「叙述」に分類する。
提示(showing)とは、語り手が介入して説明したりせず、黙ってあるがまま示すことである。
叙述(telling)とは、語り手が前面に出てきて、出来事や状況、人物の言動や心理、動機などについて、読者に対して解説することである。
フローベールやヘンリー・ジェイムズ以降の現代小説では、
提示の方法が重視されて、作者が姿を消した作品を、より純粋な芸術作品とする傾向もあったが、
1960年代以降のポストモダニズムの作品では、故意に語り手が物語に介入して叙述する方法により、
特殊な効果をねらうものがある。
しかしこのどちらかに傾いても、小説というものの味わいは減少してしまう。
大切なのは、提示と叙述の程よいブレンドである。
※参考
『批評理論入門』 廣野由美子著(中公新書1790)
投稿者 coboratory : 10:20
2005年07月11日
ストーリーとプロット
これらは一般に、「あらすじ」として同義的に用いられているが、
ロシア・フォルマリズムから構造主義、そして物語論(naratology)へ至る文学研究において、
二つの概念は厳密に区別されることになった。
ストーリー(story)とは、出来事を、起こった「時間順」に並べた物語内容である。
プロットと(plot)は、物語が語られる順に出来事を再編成したものを指す。
※参考
『批評理論入門 ~ 「フランケンシュタイン」解剖講義』 廣野由美子著(中公新書1790)
投稿者 coboratory : 09:58
2005年05月18日
石田衣良、あるいは活字ゴロ
石田衣良って知ってます?
っていきなり疑問系でこられても困るでしょうが、わたくし彼のことは嫌いなんです。
何より小説家としての才能をまったく感じないこと。
はっきり言えば、書くモノがつまらない。凡庸であるのです。
それとインタビューとかコラムとかで言ってることがいつも的外れだと言うこと。
先日も『R25』でホリエモンの株取引についての違法性を問題にして、
逆にライブドアから訴訟を起こされそうになっていたのだけど、
ビビったのか次の回では言い訳に終始して、自分の能力のなさを露呈していたっけ。
そんな感じで、どうもいけすかん奴だっと前から思っていたんだけど、
今日の読売新聞を読んでいて石田のバカっぷりが確定できた。
読売が主催した『21世紀活字文化プロジェクト』という企画の中で、
石田と角田光代が対談をしていて、その内容が載っているんだけど、一部抜粋してみます。
石田 まず僕の推薦で、長嶋有さんの『泣かない女はいない』。このタイトル、ボブ・マーリーの名曲「ノー・ウーマン ノー・クライ」から取っているんですが、実は僕、「この世界から女性がいなければ、もうなかないですむのに」という意味だと思っていたので、目からウロコでしたね。
はあ? 英語で二重否定が肯定を意味することなんて中学で習うことじゃねえの? このバカが!
ってことは何かぁ。タワレコの「No Music , No Life」ってコピーは、
「この世界から音楽がなければ、もう生きていかなくてすむのに」とでも思ってたのか!?

☆☆☆あっちょんぶりけ(byピノコ)☆☆☆
それに幾ら糞作家だって、こんなんで目からウロコ落としてたら生きていけねえだろうよ!
ボブ・マーリーに謝れよ、それからピノコに!!!
まったく。
で、そのくせ、対談の後の方でこんなことを言ってやがる。
石田 僕も、25か6の時、入社試験そっちのけで「ガープ」のペーパーバックを耽読した思い出があります。
はあ? 二重否定もわからん奴がペーパーバックを耽読したとか嘘ついてんじゃねえよ。
だいたい耽読って意味わかってるのか、石田は。
それに「入社試験そっちのけで」とか言ってる時点で、絶対嘘だよな。
ついでに書かせてもらうと対談の最後には、こんなことも言ってやがる。
石田 文章の一番の敵は、自分を今ある以上によく見せたいという欲です。
「入社試験そっちのけで『ガープ』のペーパーバック」とか言ってるお前が誰よりいちばん、
自分を今ある以上に良く見せたいと思ってるんじゃねえのかよ?
ここまでくるとアホというか、脳の病気じゃないのかと思ってくるね。
クー泣けるよ、こんなのが日本では小説家として生きてられるんだからさ。
まあ、石田衣良なんてあと数年でいなくなる作家だから、どうでもいいことなんだけど。
放置するのもなんだったので。
投稿者 coboratory : 17:22
2005年04月29日
物語とは? 〜自らの語りのためのメモ
いきなりだが、物語とは語りである。
語り手が聞き手に伝えるもの、それが物語だ。
物語では「内容」と「語り口」が極めて重要なポジションを占めることになる。
物語には必然的に「枠組み」が出来上がり、
その「道筋」に沿って物語は語られ、物語の「世界」というものが構築される。
また物語においては、
話の中で別の物語が語られるという「メタストーリー」も存在し、
このメタ部分が物語を重層的にすることもある。
物語において我々が考察する際には、
「言語」「語り」「形態と構造」が、多角的に分析されなければならない。
ナラトロジー(物語論・物語の理論)では、物語を5つの要素(物語構造)に分解する。
その5つの要素とは、
「ストーリー」「キャラクター(登場人物)」「シーン(場面)」「語り手」「世界観」である。
投稿者 coboratory : 23:53