2005年07月28日
『ジャン・コクトー展』

ジェルメーヌ・クルル
<コクトー肖像>1926年
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日本橋三越本店新館ギャラリーで開催されている『ジャン・コクトー展』に行ってきた。
正直、今までコクトーの良さってわからなかったのだけど、
今回、考え方を改めました。
まじ、凄いっすコクトー。
何が凄いって、自分的には色遣いだと思う。
それから、やることなすこと新しい。
ピカソが本流だとしたら、コクトーはアウトサイダーだね。
でもそれが、彼の魅力。
コクトーは、絵や映画について、
「絵画による詩」「映画による詩」などと言っており、あらゆるものを詩的に表現した。
コクトーと言えば、とにかく色!
それからパステル画!
そう覚えとくと、間違いないかもね(俺流意見)
※
以下、本展の巡回先の一つである「北海道立近代美術館」ウェブサイトより転載。
1889年、パリ近郊のメゾン=ラフィット(セーヌ=エ=オワーズ県)の裕福な家に生まれたジャン・コクトーは、早くから詩人として世に認められましたが、その後、美術、映画、文学、音楽、芝居、バレエなど芸術のあらゆる領域に活動を広げました。ピカソ、ストラヴィンスキー、プルースト、シャネル、サティなど、当時の芸術界をリードするアーティストたちと交流しながら、各ジャンルにおいてその才能を発揮し、1963年に74歳で亡くなるまで、独自の美学で芸術界に変革をもたらし続けたのです。
詩人としてのコクトーは、自らをギリシア神話のオルフェウスと同一化して詩作をしましたが、そのオルフェウス像やオイディプス像は、コクトーの美術作品の中に繰り返し描かれ、主要なテーマのひとつとなっています。またコクトーが脚本を、舞台美術をピカソが、音楽をサティが担当したロシア・バレエ団による「パラード」はパリの市民に大きな衝撃を与えるものでした。第一次大戦後のパリで活躍した作曲家集団6人組の結成にも関わったのもコクトーです。さらに『詩人の血』、『美女と野獣』、『オルフェの遺言』など、20世紀の映画史に多大な影響を与える映画を多数制作しました。フランソワ・トリュフォーがコクトーを「ヌーベル・バーグの父」と呼んだように、彼が映画監督として世界的に認められていることは周知の事実です。
本展では、プライベートのコレクションとしては世界で最も多くのコクトー作品を有しているサヴァリン・ワンダーマン・コレクションから、油彩、水彩、版画、彫刻、陶芸、タピストリー、ジュエリーなど様々な分野にわたる独創的な作品が出品されます。また、コクトーと各界のアーティストとの交流を物語る一連の肖像画や写真などのドキュメント、さらにコクトーが初めて日本を訪問した際に、自著に献辞・イラストを付けて友人であった堀口大學に贈った貴重な書籍史料も紹介し、ジャンルを越えて活躍した創造性豊かなジャン・コクトーの世界を回顧します。
■出品内容数千点にのぼるワンダーマン・コレクションから、日本で未発表の作品を含む油彩、パステル、デッサン、版画、彫刻、陶芸、タピストリー、ジュエリーなど様々な技法による作品とともに、「子供」や「一角獣」をテーマにしたシリーズ、各界のアーティストや著名人との交流を物語る肖像画や写真資料、図書資料など約280点。
■展覧会構成第1章 コクトーと友人たち
コクトーの絵画作品は大部分が人物画であり、中でも自画像の数は一際目立つ。時として死の誘惑に取りつかれるコクトーにとって、自分の内面を熟視することになる自画像は、自然にたどりついたモチーフであったのだろう。
一方、画家や写真家によるコクトーの肖像も数多く残っており、それら個性豊かな作品の中にも、モデルであるコクトーの特徴的な人物像が共通して感じられる。逆にコクトーが描いた友人たちの肖像画は、彼の広範囲にわたる交友関係を伺わせる時代の証言である。「ピカソの線画につづく唯一のもの」と評されたコクトーの自由闊達な描線は、詩人特有の鋭い洞察眼を示している。第2章 ヴィジュアル・ワークス
コクトーは、若い時から美術作品を制作していたが、当初は、美術家としてよりも自身の本を飾る挿画家として知られていた。1950年頃から精力的に美術作品を制作するようになり、素描、挿画、油彩画、パステル画、リトグラフ、ポスター、舞台装置、タペストリー、陶器などさまざまな分野の作品を手がける。多彩な美術作品の制作者であるコクトーは、何よりもまず第一に文学者であり、詩人・小説家としてより広く知られ、自身の美術作品を「絵画の詩」と呼んでいた。コクトーは、神話的なものの中に人生を見ようとし、創作の糸口をギリシア神話に求めており、その作品には神話に登場する神々や人物に関して描かれたものが多い。第3章 演劇/映画
舞台や映画は、コクトーの多彩な才能と華麗な人脈をもっともよく表す領域である。1917年、サティ、ピカソら前衛芸術家と手を組んだバレエ『パラード』を上演してパリ中の度肝を抜いたのをはじめ、『屋根の上の牡牛』や『エッフェル塔の花嫁花婿』などを次々と上演、その後も生涯を通じて精力的にバレエや演劇を発表している。
一方、コクトーは映画について思想を反映するあらたな芸術手段と考えていた。『詩人の血』や『美女と野獣』など多くの映画作品を制作し、その優美で繊細な映像世界は、トリュフォーやゴダールなど戦後の映画監督にも大きな影響を与えた。
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『ジャン・コクトー展』
7月20日(水)~31日(日)
日本橋三越本店新館7階ギャラリー
AM10:00~PM7:30※開催期間中無休
(最終日はPM6:00閉場、入場は閉場30分前まで)
投稿者 coboratory : 13:28
2005年06月23日
「アール・デコ」、そのきらめきと影
東京都美術館で催されていた「アール・デコ展」に行って来た。
「アール・デコ」とは文字通り、「装飾芸術」。
ウィーン工房、キュビスム、未来派、バレエ・リュス、バウハウスなど、多様な着想源から派生し、1920年代パリで興ったいわゆる折衷的装飾様式のことである。1925年にパリ開催で開催された「現代装飾美術・産業美術国際展」(「アール・デコ」展)を名称の由来とする。早くには、直線的モチーフを生み出していたウィーン分離派(ゼセッション)の流れを汲み、幾何学モチーフや直線、流線形の多用を造形的特色とした。
19世紀末に生まれ、一世を風靡した芸術様式「アール・ヌーヴォー」に続き、20世紀モダンの象徴として登場した「アール・デコ」は、二度の世界大戦間に花開き、交通手段の発達にともない急速に世界中に広まっていった。
このアール・デコ様式は、バウハウス等が提唱した近代デザインの概念を、大量消費社会のファッション・スタイルとして受容し、30年頃を頂点として、モードからニューヨークの高層ビルまで、20世紀デザイン全体に影響を及ぼすが、第二次大戦勃発とともに衰退していく。
しかし60年代になって、パリ装飾美術館の「25年代」展をきっかけとして、アール・デコ・ファッションがリバイバルし、その通俗的な商業デザインは、後のポップ・アートにも多大な影響を与えることになる。
このようにアール・デコとは、いわば芸術と産業が融合した、現代の生活様式の原点と言えるものだ。代表的作家として、ルネ・ラリック、チャールズ・レニー・マッキントッシュ、フランク・ロイド・ライト、ジャック=エミール・リュールマン、などがあげられる。
本展は、2003年春にロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館で立ち上がり、カナダのトロント、米国のサンフランシスコ、ボストンを巡回した「アール・デコ1910〜1939」展をもとに、日本で独自の視点を加えて再構築した展覧会で、世界の名品に国内作品を加えた約200点で構成されている。
曲線的な「アール・ヌーヴォー」に対する幾何学的な「アール・デコ」といった、単純な既成概念にとどまらないアール・デコの多様な特質を、その影響源から始め、それが開花し、ヨーロッパから世界への広がりに至るまでの、絵画、彫刻、建築、インテリア、ジュエリー、ファッション、大衆文化を含めた広範な視野で紹介している。ルネ・ラリックのガラス作品、カルティエのジュエリー、シャネルのドレス、タマラ・ド・レンピッカの油彩画、カッサンドルのポスター、など著名作品を多数取り揃えて構成された、かつてない規模のアール・デコ集大成ともいえる展覧会である。
1920〜30年代は、女性が職業を持ち、社会の表舞台に登場し始めた時代である。第一次大戦中に、男たちの代わりに職場で働くことになった女性たちは、社会でのキャリアや自信、そして自由に使えるお金を得て、活動的になっていった。仕事だけではなく、クラブやホテルのダンスホールでダンスを楽しんだり、カクテルパーティやスポーツの場にも、男たちをエスコートさせて出かけて行くことになる。人生を楽しむ術を覚えた活動的な若い女性たちは、新しい生活スタイルを次から次へと楽しんでいったのだ。1929年に起こった世界恐慌の混乱は、この乱痴気騒ぎに拍車をかけ、アメリカからヨーロッパに入ってきたばかりのジャズやカクテル、黒人レビュー、チャールストン、自動車ラリーなどを謳歌していった。
また本展では、その様式のさきがけとなった19世紀末のアール・ヌーボー、1922年のエジプトのツタンカーメンの墓の発見、日本の漆、中国やインカ帝国の文化との関係などを織り交ぜながら展示していたのが印象的だった。中でも日本の漆がアール・デコに与えた潜在的な影響は大きいのではないだろうか。確かに漆はモダンである。あのすべらかな漆黒は、他の何にも代えがたい魅力がある。
個人的には、展示されていた作品の中では、シャネルのブルーのスパンコールのイブニングドレスと、1925年に大流行した「レヴュ・ネグル」、すなわち黒人レビューで代旋風を起したジョセフィン・ベイカーの踊りの映像と、そしてロンドンの老舗ホテル“ストランド・パレス“のエントランスを復元したものが印象的であった。このエントランスは、ミラーガラスとクロームメッキをした鉄が斬新に組み合わされていて、それが内蔵された黄色いライトによって、柱や手すりが光を放つしくみになっているのだ。その豪華絢爛といったら、ため息ものであった。フレッド・アステアの「踊るリッツの夜」が流れ、それがまた良い雰囲気を醸し出していた。
アール・デコ、それは夢の芸術。何もかもが新しくて、ピカピカにまぶしく輝いていた頃の物語。だけども同時に、消費社会というものが必然的に内包する無意味さをも具現化しているのだ。
つまりアール・デコを再訪するということは、エコロジーとテクノロジーの狭間にいる我々に、装飾なデザインの持つ欲望喚起力と、シンプルさに付随する節度ある暮らしを両立させることの困難さを想起させる。
だけども展覧会自体は、とても素晴らしかったです。
行くなら、音声ガイドを必ず借りるべし!
それから、本展用に売り出されたアール・デコ時代の名曲集3枚組のCDが、売店で売っているので、それも買うと、なおよろしです。
投稿者 coboratory : 23:24
2005年04月24日
糸杉と星の見える道 〜 ゴッホ展にて
かつてニューヨークのMOMAで、ゴッホの「星月夜」を見た時の衝撃は今も忘れない。
なんというか、絵画というものにそれほどまでの衝撃を受けたことはなかった。
ゴッホというのは、その意味でも自分にとって特別な画家だ。
その大胆な色彩と厚塗りのマチエールが、ぼくのココロを捉えて止まない。
例えば岩波文庫から出ている『ゴッホの手紙』を読むと、弟テオとのやりとりの中から、
ゴッホの絵画に対する真摯な姿勢が痛いほど伝わってくる。
そうした真面目な性向が、ゴッホの絵画芸術に反映されているのは間違いないだろう。
端的に言えば、
ゴッホが強烈に影響されたとされる点描画の手法と浮世絵の構図、
そして印象派独特の心象風景への視線といったものと、精神の錯乱が複雑に交じり合った結果、
ゴッホ絵画というものが結集したのだということが、本展覧会で確認することが出来る。
本展においては、ゴッホが夜空の星を始めて描いた「夜のカフェテラス」と、
あまりに有名な「糸杉と星の見える道」がぼくは好きです。
それはMOMAで見た「星月夜」と同様、渦を巻いた月や輝く星が描かれていて、
ぼくはそこが大好きでしかたないのだ。
「夜のカフェテラス」

「糸杉と星の見える道」

投稿者 coboratory : 14:49