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2005年05月09日

「個性」についてのOshoの見解

Q. 
 もし私たちの進化が相互に連動し、人類は一体であるなら、なぜあなたは普遍性よりも個性を強調するのですか?

Osho.
 その通りだ、私たちは互いにそれぞれの一部だ。人類はひとつだというだけでなく、存在もひとつだ。この一体感はふたつのレベルで感じられる。ひとつは深い無意識のなかで、そしてもうひとつは超意識のなかでだ。あなたは木にならなければならないか——そうなったら、あなたは全体とひとつだ。あるいは、あなたは覚者(ブッダ)にならなければならないか——そうなったら、あなたは全体とひとつだ。このふたつの中間では、あなたは全体とひとつにはなれない。意識は個的なもの、無意識は普遍的なものだ。超意識は普遍的なもの、意識は個的なものだ……
 なぜ人びとは群集のなかにいるとあれほど幸せに感じるのだろう? なぜ幸せは群衆のなかだとあれほど移りやすくなるのだろう? 群衆のなかだと彼らは落ちてしまうからだ、無意識になるからだ。彼らは個性を失う、自分たちの個性を溶け合わせてしまう。自分たちの意識を落とすことで、彼らは自分たちの個性を落とす。そうなれば彼らは幸せだ。そうなったら心配はない。そうなったら責任はない……
 だからこそ、私は集団のメンバーになってはいけないと言う。さもなければ、あなたは最低のメンバーと同じくらい低くなる。個人になるがいい。集団のなかだと、あなたはつねに最低の共通部分に落ちてしまう。それは自然なことだ、とても科学的だ。100人の集団と歩いていたら、もっとも遅い人によって速度が決まる。いちばん遅い人は速く進めないからだ。その人なりの限界がある。そして、集団が集団として存続するためには、その集団はもっとも遅い人に合わせて進まなければならない。速い人は速度を落とすことができるが、遅い人は速くはなれない。その人なりの限界がある。
 集団はつねに愚かな人物によって支配される。愚かな人は知性的にはなれない。だが、知性のある人は簡単に逆戻りして愚かになることができる。そして、もちろん、愚かな人たちは独りでは頼りないから集団を作る傾向にある。彼らは怖いのだ、知性がまったくない。独りだと途方にくれてしまうことを彼らは知っている。彼らは集団を、群集を作る傾向がある。だから、教会が存在するときはいつも、教団が存在するときはいつも、その99パーセントは愚かな者たちで構成されている。そうでしかありえない。その彼らが宗教、政治、そしてあらゆることの方針を決める。
 この衆愚政治に気をつけて、油断せずにいるがいい。なぜなら、あなたのなかにも愚かな瞬間が、リラックスしたくなる瞬間があるからだ。そうなったら、あなたには責任がない。そうなったら、心配がない。そうなったら、あなたはつねに責任を集団に押しつけることができる。いつもこう言えばいい、「私になにができる? 私は集団と共に歩んでいるのだし、集団は遅い。だから私も遅いのだ。最低のメンバーがあらゆることを決めているのだ」
 もしあなたがほんとうに成長したければ、独りでいるがいい。ほんとうに自由になりたければ、責任をもつがいい。だからこそ私は個性を強調する。

投稿者 coboratory : 2005年05月09日 21:31