2ちゃんねるという世界
今さらここで言うのも憚れるが、インターネット上の巨大掲示板群『2ちゃんねる』の存在は大きい。ありとあらゆる時事情報を、清濁併せ呑みながら抱え込み、日本の文化そのものを変える勢いで『2ちゃんねる』掲示板は日夜、沢山の人々によって書きこまれ、また読まれている。
私が初めて『2ちゃんねる』を知ったのは、確か1999年の秋のことだった。ある問題を調べるためにサーチエンジンに検索をかけていたのだが、どうしてもその問題がヒットしなくて困っていた時に、友人がこの掲示板の存在を教えてくれたのだ。
その時はまだ、今みたいには各掲示板の数が揃っていた訳ではなくて、結局探していた答えは見つからなかった。しかしこの完全匿名性を売りにした掲示板を「とても面白い試みだなあ」と思ったことは、はっきりと憶えている。
だけど『2ちゃんねる』がここまで成長するなんて、その時はまったく思わなかった。その後の私は、書きこみはしないまでも、機会がある度に『2ちゃんねる』を覗く習慣がいつの間についてしまって、自分でも困ったものだと感じている。
それは例えば、私のインターネット・ブラウザのホームページの設定が『Yahoo!』になっていて、何か仕事に煮詰まると、思い出したように『Yahoo!』で随時更新されるニュースをチェックするのが癖になっているのと同じで、『2ちゃんねる』を見てしまうのは、ある種の依存症なのかもしれない。不謹慎な考えを承知で言えば、『Yahoo!』ニュースで大した事件がないと、つまらないと感じてしまう自分がそこにいて、もう一人の自分がそれをバカだなあ、と思うのだ。
それは今年阪神タイガースが優勝した日に、阪神尼崎駅前や道頓堀川に架けられた戎橋に集まった群衆の姿が良い例かもしれない。あの時橋の上には、それこそ溢れるくらいの人々が本当にぎゅうぎゅう詰めに集まっていて、優勝が決まる前からも、何十人もが川に飛び込んでいた(優勝すると5,300人以上も飛び込んだ!)。
各テレビ局は中継としてそれをずっと放送していて、レポーターは決まったように、『道頓堀川に飛び込むのは禁止されております。しかし阪神優勝へのファンの思いは、そんなことをお構いなしに盛り上がり、ヒートアップしているみたいです!』などと叫んでいた。
あのダイブが促されたのは、結局それを取り上げていたテレビ局やメディアの企みであって、『禁止されております』などと言っていたのは、行政や視聴者から予測される抗議への予防線や言い訳でしかなかった。
誰だってわかっていたのだ。『禁止されております』という言葉が、逆にそれを助長していることなど。だからこそ興奮したファンは、次から次へと川に飛び込んで行ったのだ。最初は他の誰かが飛び込むのを見てみたいという軽い気持ちだったのかもしれない。だけども誰かが飛び込むのを見て、その姿をかっこいいと思い、自分もヒーローになってやる、ちょっとした歴史を作ってやる、と思った別の誰かが、真似をして飛び込み、連鎖に次ぐ連鎖が、さらに人々を興奮させてゆく。
例年は阪神なんか応援してもいない、にわか阪神ファンの群れが橋の上にはうようよ集まっていて、警察が至る所に配置されてその群れを注意する。
それは一種の祭であって、祭というのは禁止と逸脱のコードで出来ていることを、テレビを見ていた私は改めて思い知ったのだ。
『2ちゃんねる』という存在も、この祭に似ている。不景気だとか事件の多発だとか、あるいはグローバル化が進み、あらゆることが管理され、閉塞したこの社会の中で、『2ちゃんねる』という仮想の世界では、普段は口にすることが出来ないことを、我々は誰のおとがめもなく言えるのだ。
寓話「王様の耳はロバの耳」で、王様の床屋が、王様の耳がロバの耳であることを知ってしまい、誰にも言ってはならないと釘を差されたが、その秘密を一人で抱えることが出来なかった床屋が、穴の中に秘密をぶちまけていたように、『2ちゃんねる』は、あの穴と同じように人々の鬱積し屈折した情念が投げ込まれる存在なのだ。
大手メディアが伝えない、あるいは伝えられない情報が『2ちゃんねる』には数多く書きこまれ、その情報の真偽を判断するメディア・リテラシーが試される場にもなっている。なかには目から鱗が落ちる事実や告発も語られ、ある者はそれを煽ったり、煽られればやり返したり、また他の誰かがそれに参戦したりする。
傍観する者、まったく違う文脈のことを言い出す者、制止する者などが、スレッド上で入り乱れ、『2ちゃんねる』では祭りの猥雑さがいつでも醸し出されている。
現にタレントの田代まさしが盗撮で逮捕された時には、『2ちゃんねる』上では異常な程盛り上がってしまい、のちにそれは「田代祭り」などと呼ばれ、今でも伝説になっているくらいだ。
『2ちゃんねる』、やはりそれ自体が祭りなのだ。そこでは、事実や告発と共に差別・誹謗・中傷・罵倒などがこれでもかと繰り広げられ、そのことによって管理人である西村博之氏は、企業や個人からの訴訟をいくつも抱えてしまってもいる。それでももはや『2ちゃんねる』を知ってしまった我々の社会は、名目上の正義や綺麗にラッピングされた広告や商品の嘘を笑い飛ばし、祭りの露天や見せ物小屋のいかがわしさを『2ちゃんねる』というネット上で楽しんでいるのだ。
だけど祭りの後はいつも寂しい。日本という社会が『2ちゃんねる』を抱えているのではなく、『2ちゃんねる』という世界が日本を抱え込んでいる感じさえする今日この頃は尚のこと。。。
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