思想のバブル
そもそもバブルとはなんだったのか? 1980年代後半以降、日本経済はバブルの発生・拡大・崩壊という形で、極めて大きな変動を経験したが、それは果たして世間で思われているような金融機関と不動産業界による夢物語だったのであろうか、という問題を投げかけてこの文章は始まる。
バブル経済は、資産価格の急激な上昇、経済活動の過熱、マネーサプライ・信用の膨張という3つの大きな枠組みから成立していたが、そのバブルをもたらした要因というのは次の5項目から成りたっていたと思われている。
- 金融機関行動の積極化。
- 長期に亘る金融緩和。
- 地価上昇を加速する土地税制・規制のバイアス。
- 規律付けのメカニズム(コーポレート・ガヴァナンス)の弱さ。
- 日本全体としての自信。
最初の4つについてはすでにあらゆる場所で語られつくした感があるが、問題の5つ目に関しては、まだまだ手付かずに放置されている気がしてならない。
その「日本全体としての自信」を生み出した80年代とは、いったいどんな時代だったのだろう。それはディズニー・ランドが開園し、日本中のロード・サイトにコンビニエンス・ストアとファミリー・レストランが増殖していった時代。高度経済成長という、がむしゃらさはすっかり影も形もなくなり、すべてが消費のための消費に移行していった時代。雑誌は記事内容というより商品を網羅的にカタログ化する媒体となり、テレビはアルマーニのスーツとメルセデス・ベンツとドン・ペリニヨンに代表されるエグゼクティヴな記号をファシズム的に喧伝していた時代。みんながみんな、なんとなく浮かれていた時代だった。
その中でもニュー・アカデミズムと呼ばれていた日本の若き思想家たちの活躍ぶりは目覚ましかった。浅田彰、柄谷行人、蓮實重彦、中沢新一、栗本慎一郎ほか、それら無数の学者たちがあらゆるメディアで既存の価値観(権力と化した知)を切り崩そうと必死だった。リゾーム、ノマド、脱構築、逃走線、スキゾ、暗黙知、パノプティコン。こんな魅力的な言葉を振りまきながら、近代の作り出してきた権力システムにノーを叩きつけていた。それ自体はよかった。そのこと自体には意味があったし、なによりかっこよかった。だけどもそれはいつしか破壊のための破壊、否定のための否定に成り下がっていったのだ。正統や伝統という凡庸な価値観の押し付けを嫌いながら、自らは世界を見通す特権的な立場から語っていた彼らの言説の多くが、マス・メディアの無謀な振る舞いの権威付けとして利用されていったという事実は、もっと省察されてもよいのではないだろうか。
先日、NHKの番組の中で元YMOの細野晴臣が80年代当時を振り返り、YMOのやってきたテクノロジーを賛美し、都市や速度や集団を賛美したスタイルに行き詰りを感じて解散した、と話していた。やはりメロディや言葉が伝えるものが必要だった、と。YMOは間違いなくニュー・アカデミズムとある種の思想を共有したユニットだった。そのリーダーである細野はいち早く、時代の危機感を感じ取っていたのだろう。その後彼が目指したのは、アンビエントやニュー・エイジといった癒しの音楽というものだったのだから。80年代は音楽も文学も真面目であることが馬鹿にされ、パスティーシュやパロディ、あるいはサンプリングといった過去の遺産を引用しながら、文脈を絶えずずらしてゆくやり方が好まれていた。だけどその方法では遊び心はあっても、何か大切なものを伝えてゆくことは出来なかったのだろう。まるで抽象絵画が閉塞していったように。
さてバブルはもちろん建築界においても浸透していた。当たり前だ。建築界といえばバブルを拡大生産していたゼネコンやデベロッパーの一味なのだから。だからこそバブルは建築家に今までにない斬新な建築物を設計させていたのだ。『ディコンストラクション(デコン)』と呼ばれるスタイルが80年代の後半から90年代の前半にかけて流行したが、それは感覚的な迫力やインパクトだけを人々に与えるために生み出されたスタイルだった。もちろん背後にはニュー・アカデミズムと軌を一とするフランス現代思想などの根拠を掲げてはいたが、デコンの標榜者ピーター・アイゼンマンがデザインした布谷東京支社ビルなどを代表とする、傾きやひしゃげを取り入れた歪んだ建物は、その後起きた阪神大震災という現実の前では、洒落にさえならなくなってしまった。「これでデコンの時代は終わった」と建築家の磯崎新は、遊技性に甘んじていた時代を嘆いた。
このことは一つの例に過ぎないが、バブルの崩壊を象徴する物語だ。とどのつまりバブルとは、我々全体が依拠していたライフスタイルや思想そのもののことなのだ。
そしてそれはまずいことに、いまだ続く悪夢なのである。
Category : 思想・哲学 |
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