9.11 ~ 世界が崩落した日
昨年9月11日に起こった世界貿易センタービル(WTC)への旅客機テロから1年目の日。テレビでは朝から、同時多発テロ関連の追悼プログラムが流されていた。ほとんどはとりわけ興味を惹くものではなかったが、ある番組だけはまったくもって別格だった。
それは事件当日のWTC内部で起こっていた模様を記録した、世界で唯一の<歴史的スクープ映像>と呼べるものだ。その映像を撮影したのは、フランス人ドキュメンタリスト。名前はジュール・ノーデ、当時28歳。
ジュールは同じくドキュメンタリストの兄ギデオン(31歳)に付いて、ニューヨークのとある消防署の活動を密着取材していた新米だったのだ。ノーデ兄弟はその消防署を2001年6月から取材していた。
その朝も、弟ノーデは一週間前に始めたビデオ撮影の練習のために、消防士たちについてビデオテープをまわし続けていた。最初の衝撃的な映像は、ガス漏れの調査に出動した消防士を取材中に偶然撮影された。マンハッタンの街角でマンホールを調べている最中に轟音が聞こえ、ふと空を見上げると、1機目がWTCに突入する瞬間をカメラは捉えてしまう。
事件直後に我々が何度も目にしたあの映像は、ジュール・ノーデが偶然に撮影したものだったのだ。ノーデ兄弟が撮影対象にしていた消防署は、WTCを管轄地域に含む署だった。
WTCに異変が起これば、すぐさま駆けつけなければならないのだ。彼らはただちに消防車に乗り込み、ビルへと向かった。続々と仲間の消防士たちや他の署の消防士たちが集まってくる。上層階で起こったことは、駆けつけた消防士たちにもおよそ判別がついていた。このまま撮影を続行してよいか?と尋ねるジュールに隊長は、自分から決して離れてはいけないことを条件に彼を同行させる。数ヶ月間の密着取材で家族のような信頼関係を結んだからこその同行だった。
この時、WTC第一ビル(北棟)では致命的な出来事が起こっていた。エレベータが動かないのだ。
想像して欲しい。およそ30キロの荷物を背負う消防士が一つのフロアを上がるには、1分の時間がかかるのだ。上層階に辿り着くまでに、いったいどれくらいの時を無駄にすると言うのか。それでも消火と救出のために迷うことなく階段を上っていく消防士たち。
ロビーでは各署の隊長たちが集まり、指揮について議論するが、情報が錯綜していてうまくコントロールできなくなっている。しだいに各消防士たちとの無線も繋がらなくなり、現場の緊張はとてつもなく高度なものとなる。運良く非難することが出来た人々が、列をなしながらビルの外に向かってゆく。
そして隣の第二ビル(南棟)がまたもやテロリストによって攻撃される。「ドスン...ドスン」という鈍い重低音が断続的に鳴り響く。あとでわかることなのだが、それはおよそ千度に達したと言われる灼熱から逃れるために飛び降りた人々が、地上に叩きつけられる音だったのだ。その場に居合わせた消防士たちは、その音に顔をこわばらせる。
やがて第二ビルが崩落する。地響きを轟かせながら。筆舌にしがたい恐怖が自らの身に迫っていることを直感する消防士たちは、なおも懸命に救助作業を続ける。
その間にも隊長とジュールは、被災者と隊員の脱出経路を確保するために奔走する。第二ビル崩落の影響は、もちろん第一ビルにも及び、ジュールらはエスカレータを歩いて上っている途中、瓦礫の下敷きになりそうになる。
灰色の噴煙でゼロになる視界。ジュールの上に覆い被さってくるものがある。それは自らの身でジュールを守ろうとした隊長だった。この崩落によって、署専属の牧師が亡くなる。牧師を担ぎながら、ようやくそこから逃げ出すことが出来た彼ら。隊長は、復旧しだした無線を使い、他の隊員たちに脱出を命ずる。もう時間がないのだ。
脱出経路を再確認した隊長らは、とりあえず外に出る。他の隊員たちも続々とビルの外に逃げる。するとしばらくして第一ビルが、突如崩れ落ちてきたのだ。ジュールは急いで逃げながら車の下に潜り込む。
辺り一面は、ベージュの煙によって支配される。カメラに容赦なく降り注ぐ、埃のように粉々になった瓦礫と粉塵。超高層ビルを構成していたありとあらゆるものが砕け、飛び散り、消防士の一人が「戦場だ」と言ったように、確かにそれは他の言葉では形容しがたい鮮烈な光景となってしまった。
間違いなくこれらの映像は、今後「9.11」を語り継ぐ時に、欠かすことの出来ないものとなった。単にそれが、唯一の内部映像というだけではなく、また救出に向かった消防士たちの奉仕と犠牲の精神を目の当たりにするからでもなく。
つまり「9.11」というのは、アメリカ人にとってだけの悲劇ではなく、世界の悲劇だったのだ。その衝撃は、広島・長崎の原爆投下に匹敵するものなのだ。これを人類の悲劇と呼ばずに何と呼べばよいのか。
皮肉にもWTC崩落現場は、「グラウンド・ゼロ(爆心地)」と言われる。もちろんこの言葉は、原爆投下ポイントをさす言葉なのだが、アメリカは過去に自らの威信のために落とした「それ」を、自らの威信を損なうために落とされた。暴力の連鎖はこのように続いてゆくのだ。
心理学のトラウマ理論の中に、「想起と服喪追悼」という考えがある。壮絶な出来事で蒙った悲しみを癒すためには、出来事を思い起こし、それを語り続けることで悲しみを癒し、葬り去るというものだ。一見矛盾したように聞こえるこの考えだが、傷を傷として直視し、受け止めることが出来なければ、悲しみの開放は出来ないという、我々人類の精神を端的に捉えている。
上記の映像はそういった意味においても必要な、喪の一種だったのだ。
Category : 事件 |
Permalink |
Comments [0] |
Trackbacks [0]


