袖ひき小僧と口裂け女
小学生だった頃、とても奇妙な体験をしたことがある。ある日の夕方、友人と二人でプラモデルを買いに歩道を歩いていたら、突然誰かに後ろからシャツの袖を引っ張られたのだ。驚いて振り返ってみても、そこには誰もいない。ぼくが友人の顔を見ると、その友人もびっくりした顔をしながら、思いもかけない言葉を発してきた。
「今、俺のシャツ引っ張った?」。
そう、ぼくらは同時に誰かからシャツを引っ張られたのだ。でもそこにはホントに誰もいなかった。それからしばらくの間ぼくは、恐怖心を抱きながら暮らすことになる。そんな中、家の近くの図書館でふと、水木しげるの『妖怪大百科』という本を手に取った。するとそこに思いもかけない妖怪を見つけたのだ。
その名は、「袖ひき小僧」。その妖怪は、夕暮れの帰宅を急ぐ者の袖をクイと引くらしい。振り向くが誰もいないので気を取り直して歩き出そうとすると、またも手がクイと引かれるとのこと。
袖ひき小僧には、このような単なる足止めをして楽しむ愉快犯的な行動の伝承が多く、とくにこれ以上の危害を加えた等の話はない模様だと記述してあった。また怪談話などでは、直接手首をつかまれて引かれる、あるいは、袖を引かれたので振り返ると女の子だった等の噂話や伝承も残っているとのことだった。
「ふうん、そうか」とぼくはやっぱりそんな妖怪もいるんだなぁと思ったのだが、袖ひき小僧に関する項目を最後まで読んでまたもやびっくりすることになる。出没地域は、ぼくらが住んでいた街だったのだ!
その頃ぼくの周りでは、こんな奇妙なことがわりかし続いていた。なかでもひどく鮮明に覚えているのは、口裂け女の事件である。口裂け女(くちさけおんな)は、1979年の春から夏にかけて日本で広まった最強の都市伝説だ。
口裂け女伝承には、いくつかのヴァリアント(ヴァリエーション)があるが、はっきりぼくが覚えているのは、マスクをして、真っ白い服を着た若い女性が、学校帰りの子供などに「わたし、きれい?」と訊ねてくるというものだ。その時、もし「きれい」と答えると、口裂け女は「......これでもか!」と言いながらマスクを外し、包丁で刺し殺してくるとのことだった。そしてその口は耳元まで大きく裂けているという。
この時「きれいじゃない」と答えても、やはり切り殺されるのだ。口裂け女が、100メートルを3秒で走るというのも定説であった。しかし口裂け女から無事逃げるには、いくつかの方法があるとも伝えられていた。広く知られたものに、べっこう飴とポマードがあげられる。
べっこう飴は口裂け女の好物であり、これを与えると口裂け女が夢中でなめている隙に逃げられるというもの。また、「ポマード、ポマード、ポマード」と3回続けて唱えると口裂け女がひるむので、その隙に逃げられるというものもあるが、この場合は身体能力(100メートルを3秒!)からして、かなり怯ませてから逃げなければならない。
その他には、ポマード自体を投げ付けたり、それを振りかけたりなどすると彼女はその臭いで、パニックを起こしてしまうため、退散させることが出来るという方法も聞いたことがある。こんな荒唐無稽な話に、当時の少年少女たちは翻弄されたのだ。ぼくたちはびくびくしながら毎日を送っていた。
そんなある日の夜、「砂掛けババア」と揶揄されていたイジメられっ子のクラスメートが、テレビに出たのだ。それは彼女が口裂け女を目撃したということによるインタビューだった。ブラウン管の中で彼女は、口裂け女と遭遇した経緯を真剣に語っていた。しかしぼくにはそれが、なんとなく憐れに思えてならなかった。彼女の横で一緒にテレビに映っていた女の子も同じくイジメられっ子で、その子のあだ名は「○○菌(○○には彼女の苗字が入る)」という最低なものだった。
子どもゴコロにぼくは、それが彼女たちの何らかの抵抗であり、嘘であるということを知っていた。でもテレビを見ている人たちは彼女たちのことなんか知るわけもなく、小学生の女子が真顔で語っていることを、もしかしたら信じてしまうのだろうなと思っていた。テレビに出た次の日、彼女たちが凄惨なイジメにあったのは言うまでもなかった。ぼくはそれをただ眺めていた。いったい他に何が出来たというのだろう。
中学生になって、砂掛けババアはとても綺麗になった。スタイルも良く、顔も可愛くなった。でもぼくは誰にも言わなかったが、彼女のことを小学生の時からずっとカワイイと思っていたのだ。
ただボロボロの家に住み、風呂にもあまり入らず、ボサボサの髪を振り乱し、成績も悪かった彼女を好きだと言うことは、社会的に阻まれることだった。悲しい話だ。
口裂け女のことを思い出す度、ぼくは砂掛けババアと呼ばれていたその女の子を想い出す。今は何をしているかもわからない女性のことを。他の人からすれば、袖ひき小僧の話だって荒唐無稽なのだろう。でもぼくと友人は確かに袖ひき小僧に袖を引かれたのだ!
だから砂掛けババアが口裂け女には会ってないなんて、今のぼくには決して言えない。
そんな風に都市伝説には、科学だとか非科学だとかいった論争とは別の次元の問題が、きっと深く静かに潜んでいるのだと思う。
Category : 都市伝説 |
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