夏海奇譚
今年の夏の暑さはとにかく異常だった。普段はエコというよりも体調が悪くなるので、エアコンを家では使わないようにしている自分だが、もはやそんな流暢なことを言ってられない状況だった。飼い猫も、エアコンの近くから離れなかったから、動物にとっても耐え難い夏だったのだと思う。
そんな今年の夏だが、所用でとても忙しく、旅行などには行けなかった。毎年必ず何処かへ出かけるようにしているので、何処にも行かないというのは、やはり寂しいものだった。夏は良いことも嫌なことも含めて想い出がいっぱい出来るものだから。
そんな夏の想い出を振り返って見ると、やはり思い出すのは、高校時代の夏休みのこと。その頃のぼくたちは毎年、夏になるとバカみたいに海へ出かけていたのだ。今みたいに紫外線がどうこうとか誰も言ってなかったから、ココナッツの匂いのするコパトーンのサンオイルを塗りたくって日焼けをしまくり、水着姿の女の子を眺めまわしていたのだ。
若かったぼくらの青春グラフィティの中でも、とくに忘れられない出来事がある。それは、日航ジャンボ機が群馬県多野郡上野村・御巣鷹の尾根に墜落した日のことだ。
日付で言えば、1985年8月12日の夜になる。その日はクラスの男子数人で、千葉の海水浴場に泊まりで出かけていたのだ。昼はさんざん海で楽しんだのだが、民宿に戻ると日航機が行方不明だという事実を知った。
結果として悲しいことに墜落してしまったその日の日本航空123便に、実は親戚の叔父さんが乗ることになっていたのをぼくは知っていたので、次から次へと続報として新しく入ってくるテレビニュースに、釘付けにされてしまった。事故の経緯を知れば知るほど胸が苦しくなったのを今でも覚えている。
友達の何人かが酒やつまみを仕入れに、泊まっていた民宿からだいぶ離れた場所にあるコンビニに繰り出すと言っても、ぼくにはそんな気分になれなかった。だから仲の良い一人の友人が、ぼくと一緒にテレビを見続けていてくれたのは、とてもありがたかった。
あまりに叔父さんのことが心配になって、とうとうぼくは家に電話をしてみた。すると母親から意外な言葉を聞くことになる。「なんか叔父さんは、虫の知らせみたいなのを感じて、あの飛行機をキャンセルしたんだよ」と。ぼくはそれを聞いてほっとすると同時に、不思議なことがあるもんだな〜と思った。その後すぐに自分に起こる不思議な出来事のことなんかまるで知らずに。
叔父さんの無事を知ったぼくは、急に気分が軽くなったので、一緒に残ってくれた親友を連れだして夜の海へ行くことにした。それに他の友達たちにも、叔父さんの無事を報告しなければならなかったから、コンビニまで行こうと思った。
民宿のすぐ前はもう海だった。だけど夏の夜だって言うのに、その日の浜辺には人の気配がまるでなかった。一度だけカップルとすれ違った。ぼくは心の中で、「ちぇっっ」と言った。
それきりまた砂浜は、波の音と国道を通過する車の音だけになった。親友とぼくは、昼はライフセイバーが監視をするための監視台に登ってみた。そしてお互いに片思いの好きな子の話をして、切なくなったりしたのだ。夏の夜は人をセンチメンタルにするから、ぼくはいつになく饒舌に自分の想いを語ったりした。
そうこうしていると、遠くから白いワンピースを着た若い女性が、大声で何か言いながらこっちに向かってきた。耳を澄ますと「おとうちゃん! おとうちゃん!」と言っているように聞こえた。
親友が、「なんか困ってるみたいだから、手伝ってあげようか?」と言ったので、「そうだな」とぼくは答えた。そして監視台を降りて、その女性のもとに早足で近寄ってみた。でも近づくにつれて、何か嫌な予感がしてきたのだ。白い服を着た女性まであと5メートルとせまった所で、ぼくと友人は目を見合わせて、お互いにその恐怖を察して、急いで女性から逃げだした。女性はぼくたちを追ってきた。「おとうちゃん! おとうちゃん!」と言いながら。
ぼくたちは、砂に足を取られながらも必死で駆けだした。時々振り返りながら走っていると、海小屋が二つ並んで建っている場所があって、その女性はとうとうぼくたちを諦めるように、その二つの海小屋の間にすうっと消えてしまったのだ。そう、暗闇に中に吸い込まれていったのだ。ぼくも友人も、はっきりとそれを見た。ぼくらはしばらくそこに立ちすくんだ。どれくらいその場にいたのだろうか。結局、その若い女性はそこから二度と姿を見せなかった。
「なあ、あれ自縛霊だぜ。きっと」と友人がぼそっと言った。「なんだよ、ジバクレイって?」とぼくはとぼけて聞き返す。そんなモノの存在を認めたくなかったのだ。本当にぼくが自縛霊を知らないと思った友人は、続けてこう言ってきた。
「もし俺たちが彼女を助けたら、間違いなく海に引きずりこまれていたと思うよ。自縛霊ってさ、他の奴らも同じ思いにさせたがるものだからさ」。
だからこの話を読んでくれた読者に忠告したいのだけれど、もし夜の海で女性を見かけても、声なんかかけようと思わない方が身のためだと思う。だってこれは他人から聞いた噂話ではなく、ぼくが本当に体験したことなんだから。
Category : 想い出 |
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