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2005年06月13日

[ ++ coboratory institute ++ ]書評宣言

例えば、先日酷評した『female』を読んで、
「いや、自分はとても面白く読めた」という人がいるとする。
ぼくはもちろんその人の意見を尊重する。
だけどそれでも、やはりあの作品集は酷いものだと思う。
それがぼくの意志表明であり、自己表出であり、
書評というものがもつリアリティなのだ。

すなわち書評とは、客観的な基準のもとに計られるものではなく、
あくまでも人それぞれの経験値や読書量などから導かれた、
書籍に対する好き嫌いの傾向に過ぎないのだ。

この書評というのはつい最近まで、
アカデミズムの狭い象牙の塔に閉じこめられて、管理されていた。
権威付けされたものを良しとしたメルクマールによって、その存在が保証されていた。
しかしそんなものは、とっくに瓦解してしまったのだ。

あまたあるブログを読めばわかるけど、プロと素人の差など、もはやほとんどない。
それはどの領域にも当てはまることだ。
ブログというツールによって人は誰でも批評家たることが出来るようになった。
それまで特権階級によって独占され、闇の中に隠されていた知識が、
多数の自由な意見として、白日のもとに晒されるようになったのだ。

これからもぼくはぼくのやり方で批評し、ぼくはぼくのやり方で傷ついていきます。

投稿者 coboratory : 2005年06月13日 21:34